金曜の夜、貸し切りにした居酒屋の、いちばん奥の席。ハイボールを3杯ほど空けた頃だった。40代の男性が、ぽろっとこぼした。
「20代のときに好きだった子がいてさ。手も握ってないんだよ。なのに、なんで今でも覚えてるんだろうな」
奥さんがいる。子どももいる。家庭は、傍から見てもずいぶん穏やか。それでも、名前も顔もはっきり浮かぶあの頃の彼女が、どうしても消えてくれない…そう言って、彼はグラスの氷をからんと鳴らした。
社会人サークルの飲み会を何年も回していると、この手の打ち明け話に何度も立ち会うことになる。しらふじゃ、まず言わない。少しお酒が入って、しかも相手が半分は他人だからこそ、こぼれてしまう本音。既婚者が昔の女性を忘れられずに抱えているケースは多い。
ただ、異常でもなんでもないから。人の記憶の作りからすると、むしろ忘れられないほうが自然なくらいなんだよね。
プラトニックな恋ほど、なぜか消えてくれない
体の関係がない。一緒に暮らしたこともない。派手な喧嘩も、倦怠期も、しんどい別れ話も、ひとつも通っていない。つまり、幻滅する機会が一度も訪れなかった、ということ。
付き合って半年もすれば、相手の寝癖も、財布に突っ込まれたレシートのぐしゃぐしゃ具合も見えてくる。恋が、だんだん生活に変わっていく。でも、プラトニックのまま途切れた相手は、そういう日常のアラを一切見せないまま、記憶の中でぴたっと止まったまま。
冷蔵庫の奥にしまい忘れた果物が、なぜか腐りもせず、宝石みたいにきれいなまま残っている。あの感じに近い。恋愛心理でいう理想化、と呼ばれるやつ。実物とすり合わせる機会がないぶん、記憶の中の彼女は、どこまでも無敵になっていく。
じわじわ効いてくる要素が、もうひとつ。未完了の引っかかり、というもの。
いいところで「次回に続く」と切られたドラマ、やたら気になるでしょ?告白していない。フラれてもいない。付き合ってもいない。これ、ぜんぶ途中で止まったドラマなんです。人の頭は、片づいた物事より、宙ぶらりんの物事のほうを強く握りしめておく癖がある。ツァイガルニク効果、なんて名前もついていたりする。満たされて終わった恋は静かに色あせるのに、手前で止まった恋だけが、心の隅っこでチカチカ点滅し続ける。
そして、ここがいちばん核心かもしれない。
忘れられないのは、本当に彼女なのか。
飲みの席で長く話を聞いていくと、恋しがっている相手が、その人そのものじゃなかった、というパターンにやたら出くわす。恋しいのは、彼女のそばにいた頃の、自分自身。まだ何者でもなくて、可能性だけは無限にあった、あの若い自分。それを、彼女という器に入れて思い出しているだけ。そういうことが、驚くほど多いんだ。
あれ…俺が会いたいのは彼女じゃなくて、あの頃の俺のほうなんじゃ…?
この一点に自分で気づいた瞬間、すーっと肩の荷が下りたような顔をする人が、少なくない。恋の話をしていたはずが、いつのまにか自分の人生の話にすり替わっている。
既婚者が、なぜ「今」になって思い出すのか
不思議なのは、しまい込んでいたはずの記憶が、ある日ふいに蘇ってくること。
同窓会の帰り道。SNSのおすすめに流れてきた、懐かしい名前。昔さんざん聴いた曲のイントロ。きっかけは、人それぞれ。でも「なんで今なんだ?」と、そこからもう一段だけ深く掘ってみると、たいてい別のものがひょっこり顔を出す。
日々の、うまく言葉にできない物足りなさ。パートナーとの、いつのまにか広がっていたすれ違い。自分の年齢や、この先への、ぼんやりした焦り。
節目のタイミングも、記憶のスイッチになりやすい。40歳の誕生日。子どもがようやく手を離れた春。転職して、生活のリズムがガラッと変わった時期。人生がふっと立ち止まる瞬間、脳は「これまで」を振り返りにいく。その棚卸しの途中で、いちばん甘酸っぱい記憶に、指が引っかかる。
過去の恋の記憶は、原因というより症状に近い。心のどこかが乾いているとき、いちばん潤っていた時期の記憶を、無意識のうちに引っ張り出してくる。「彼女を忘れられない」の正体は、案外「今の自分、これでよかったんだっけ?」という問いの、遠回しな表れだったりするわけ。
責めているんじゃないよ、これは。むしろ、その信号にちゃんと気づけたなら、今の暮らしを見直す、悪くないきっかけになる。ざわっとした胸のうちには、たいてい意味があるから。
これは男性に限った話でもない。うちのイベントには既婚の女性も来る。結婚記念日の直後に、学生時代ずっと片思いしていた先輩の夢を見て、目覚めてから一日じゅうそわそわした…と打ち明けてくれた人がいた。旦那さんへの不満があるわけじゃない。ただ、あの頃のまっすぐな気持ちを、久しぶりに思い出しただけ。性別に関係なく、人はときどき、過去のいちばんきれいな感情に手を伸ばしてしまう生き物らしい。
「忘れられない」と「まだ好き」は、実は別物
忘れられない、はただの記憶の状態。まだ好き、は、今この瞬間に向いている感情。似ているようで、まるで違うものなんだよね。
昔の相手を思い出して胸が動くのは、当時の感情の残り香が、記憶と一緒に再生されているだけ、ということがほとんど。生身のその人を、今この瞬間に求めているわけじゃない。ここを取り違えて、まだこんなに好きなんだ、今の関係は間違いだったのかも、と暴走してしまうと、話がどんどんややこしくなる。
胸が動いた、イコール、今の生活が間違い。この短絡だけは、踏まないほうがいい。
心の中で想うことと、連絡することは、まったくの別物
はっきり線を引いておきたいところ。
頭の中で昔の人を思い出すこと自体は、誰も傷つけない。人の心の中まで取り締まる決まりはないし、勝手に湧いてくる感情を止めるなんて、そもそも無理な話。そこは、割り切っていい。
問題になるのは、そこから一歩、外へ踏み出すかどうか。
「元気にしてる?」。たった一通の、なんてことないメッセージ。送信は、一瞬で終わる。でも、その一瞬が、コツコツ積み上げてきた家庭を、静かに揺らし始めることがある。
実際にあった話をひとつ。30代後半の既婚男性が、同窓会のあと、SNSで昔の相手に連絡を取り始めた。最初は、ただの近況報告のつもりだったらしい。それが、いつしか夜ごとのやりとりに変わっていって…気がつけば家の空気はぎくしゃく、肝心のその相手とも結局こじれて、両方まとめて失いかけた。あとになって彼が、ぼそっとこぼしたひとことが忘れられない。
「欲しかったのは、あいつじゃなくて…あの頃のドキドキだったんだよな」
追いかけていたのは、生身のその人じゃなかった。もう二度と戻らない時間のほう。連絡を取り始めて、ようやくそれに気づいた、というわけ。
逆のパターンも見てきた。あるサークル常連の男性は、同じように同窓会のあと、例の連絡したい衝動に襲われたそう。でも、送らなかった。代わりに何をしたかというと、その週末、奥さんを、昔ふたりでよく通った店に誘ったらしい。「昔の恋を思い出すってことは、俺、最近ちょっとサボってたんだなって思ってさ」。そう言って笑ってたのが、妙に印象に残ってる。過去へ向きかけたエネルギーを、そっくり今の関係に回した。この切り替えができた人は、あとくされもなく、びっくりするほど機嫌よさそうにしている。
罪悪感は、消さずに「置き場所」を決める
思い出すたび胸がチクッとする、あの後ろめたさ。厄介だよね、ほんとに。
うまく手放していくのに効くのが、記憶を美化しすぎていないか、事実の側から見直してみること。あの人にも、だらしないところはあった。当時だって、うまくいく保証なんてどこにもなかった。連絡が途切れた理由も、思い返せば、それなりにあったはず。きれいな部分だけを切り取って、額縁に入れて飾っていないか。そっと点検してみるといい。
もうひとつ。今の関係の中で満たされていない何かを、こっそり言葉にしてみる。会話が減っているのか。ねぎらわれていないと感じているのか。それとも、ただ疲れがたまっているだけなのか。正体さえつかめれば、わざわざ過去へ逃げ込まなくても、目の前で手当てできる。
やめておいたほうがいいことも、はっきりしている。ひとつは、さっきの不用意な連絡。もうひとつが、パートナーと昔の相手を、頭の中でこっそり比べること。この比較グセ、じわじわ今の関係を削っていくから、本当に気をつけて。無意識にやっちゃうんだよね、これが。
無理に忘れなくていい、という選択
「忘れなきゃ」と力めば力むほど、記憶はかえって鮮明になる。ピンクの象を思い浮かべるな、と言われた瞬間、頭がピンクの象でいっぱいになる。あれとまるで同じ理屈。
だから、無理やり消さなくていい。
これまで見てきた中で、いちばん穏やかに落ち着いていったのは、記憶を消そうとしなかった人たちのほうだった。心の引き出しの、いちばん奥に、そっとしまう。鍵はかけない。でも、普段はもう開けない。それくらいの距離感で、今日の暮らしをちゃんと生きている。忘れられない恋がある、というその事実ごと、自分の一部として静かに抱えていく。消すんじゃなくて、置き場所を変えるだけ。
もしも、どうしても苦しくて、眠れないとか、仕事が手につかないとか、日常に響いてくるレベルまできているなら、ひとりで抱え込まないでほしい。カウンセラーのような第三者に話してみるだけでも、こんがらがっていた糸が、ふっとほどけることがある。
あの40代の男性は、あの夜のあと、こう言い残して帰っていった。
「話したら、なんかスッキリしたわ。もう連絡はしない。ちゃんと家に帰るよ」
忘れられない人がいること。今、隣にいてくれる人を大切にすること。このふたつは、両立できるよ。

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