打ち上げの居酒屋。隣に座った女性が、ふいに声を落とした。
「彼のこと好きなんですけど、ごはんの音だけがどうしても無理で…」
三十人規模の交流イベントが終わった直後で、店内はまだガヤガヤしてた。なのに、その一言だけがやけにくっきり耳に残った。
社会人サークルを運営して数年。持ち込まれる恋愛相談で一番多いのは価値観のズレ。で、二番目がこれ。食事の所作。
気になってしまう
くちゃっ。ズズッ。音が耳に刺さった瞬間、目の前の人が急に知らない誰かに見える。あの感覚さ、経験してない人には本当に伝わらない。
咀嚼音や食器のぶつかる音に強い不快感が出る反応は、ミソフォニアという言葉で語られることがある。音への過敏さを性格の弱さとして片づけない見方は、少しずつ広がってきてるんだ。
しかも嫌悪という感情は、努力で上書きしにくい部類に入る。好きだから我慢しよう、で消えてくれたら苦労しないわけで。愛情の量の問題にすり替えられると、余計にしんどくなる。
食べ方ににじむのは、味覚でも育ちでもなく想像力
イベント現場でいろんな人の食事風景を見てきて、思うことがある。食べ方の問題って、マナーの知識量じゃないんだよね。
箸の持ち方が独特な人は、正直けっこういる。でも音を立てない人、口を閉じて噛む人は、知識じゃなくて感覚で気を配ってる。自分の出す音が向かいの席にどう届くか、頭のどこかで想像しながら食べてる。
見えてるのは、他者への解像度。
気になるのは咀嚼音そのものというより、その裏にある無自覚さなんだと思う。自分の行動が誰かの体感に届いてる、という発想が薄い。恋愛でいえば、相手が黙り込んだ理由に気づけないタイプと重なりやすい。だから食べ方が引っかかった人は、そのうち別の場面でも同じ引っかかりを感じる。順番の問題で、食事は回数が多いぶん最初にバレるだけ。
育ちの話も必ず出てくる。ここは慎重にいきたい。家庭で誰にも指摘されないまま大人になった人は確かにいるよ。ただ、それがそのまま人格の評価になるわけじゃない。直す機会がなかった人と、言われても直さない人。この二つは、まったく別物なんだ。
同じ根っこは、テーブル以外でも顔を出す
会場でそれとなく観察していると、食事の音が気になる男性は、他の場面でも似た気配を見せることがある。
店員さんへの受け答えが急に雑になる瞬間。カバンを通路にはみ出したまま気づかない感じ。声量が場に合っていない場面。全部つながってると言い切るつもりはないけど、ざわっとする点は重なりやすい。
逆のパターンもちゃんとあった。食べ方は荒いのに、人への気遣いは驚くほど細やかな男性。彼は自分の癖を知っていて、指摘されるとその場で直そうとした。だから決めつけは危ない。見るべきは癖の有無じゃなくて、指摘されたあとにどう動くか。
直る人と直らない人を分けるのは、注意された直後の三秒
これは何度も見てきた。ほぼ例外がない。
去年の交流会で知り合った三十代の男性。彼女に食べ方を指摘されて、ショックで三日は落ち込んだらしい(笑)。で、そのあと何をしたと思う。自分の食事をスマホで録音したんだって。
「聞いたら想像の五倍ひどくてさ。あれは彼女、よく黙って隣にいてくれたわ」
鼻づまりで口呼吸になってたのが原因のひとつだと分かって、耳鼻科にも行った。半年後に会ったら、食べ方だけじゃなく話し方まで落ち着いてた。指摘を攻撃として受け取らなかった人の、その後って本当に伸びるんだよなぁ。
対照的な話もある。別の相談者の彼は、伝えた瞬間にこう返した。そんな細かいこと気にすんなよ、と笑って流す。翌週にはもとどおり。三回目に言ったときは、じゃあお前の家はそんな上品なのかよ、と育ちの話まで持ち出してケンカ。
彼女、ぽつりと言ってた。
「食べ方が嫌だったんじゃないんです。私が困ってますって言うたびに、なかったことにされるのがしんどかった」
別れを考えていい、四つの目印
こんな理由で別れるなんて、と自分にブレーキをかけてる人は多い。判断の材料として、現場で見てきたものを置いておく。
伝えたあとの反応。謝るか、開き直るか。ここで八割は決まる。
改善が三日で消えるかどうか。完璧じゃなくていい。直そうとした形跡が続いてるなら、まだ望みはあるよ。
食事以外の場面でも、あなたの不快感が軽く扱われる感覚があるか。もしそうなら、問題は食べ方じゃない。
親や友人に会わせる場面を想像したとき、胃がきゅっとなるか。この身体の反応、意外と正確なんだよね。
反対に、直そうとしてるのに癖が抜けきらないだけ、という状態なら結論を急がなくていい。半年単位で変わった人を私は何人も知ってる。生理的な嫌悪が慣れで消えるとは限らないけど、相手が本気で変わろうとしてる事実は、こちらの見え方を確実に動かすんだ。
伝え方を外すと、食べ方じゃなく関係のほうが壊れる
言えずに我慢してる人が本当に多い。傷つけたくないから、と説明されるけど、本音は言ったら終わりそうで怖い、だったりする。
やらないほうがいいことから。
人前で言うのは論外。恥をかかされた記憶だけが残って、中身はまるで入らない。
家庭や親を連想させる言い方も避けたい。育ちが出てるよ、は本人には全否定として届く。
人格に紐づけるのもアウト。だらしないよね、と言われて直せる人はいない。行動と人格を切り離すのが鉄則。
うまくいった人たちの言い方には、はっきりした共通点があった。主語を自分にして、一度にひとつだけ、機嫌のいいタイミングで、軽く。
「あのさ、私、噛む音がちょっと苦手みたいなんだよね。体質っぽくて。口閉じて食べてもらえると助かるかも」
責めてない。でも要望は消えてない。この温度が通りやすい。
食器の音なら、こんな感じ。「ガチャッてなると私がビクッてしちゃうからさ、そっと置いてくれたら嬉しい」
一度に全部言わないのが肝心。音と箸と姿勢を同時に並べられたら、誰だって心が折れるでしょ。ひとつ直ったら褒める。恥ずかしいくらいベタだけど、これが一番効いてた。
半年言い続けて、それでも動かなかったとき
そこで見えてるのは食べ方じゃない。あなたの困りごとが、どう扱われる関係なのか、という話。
我慢したまま結婚した人の話も聞く。一日三回、年に千回近く、その音と向き合う生活。じわじわ削られて、五年後にまったく別の理由で限界がきた、というケースは残念ながらある。
食べ方は直せる。ただ、直す気のない人を直すことはできない。その差だけは、どれだけ優しくしても埋まらないんだ。

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