金曜の夜。うちのイベントの端っこで、ひとりの女性がずっとスマホを握りしめてた。乾杯が終わっても、料理が運ばれてきても、視線は画面から動かない。帰り際、彼女がぽつりとこぼした。
泣く恋愛って、やめたほうがいいんですかね。
涙が出る恋を、まるごとやめる必要はない。ただし、手放したほうがいい涙と、もう少し見守っていい涙がある。ここの線引きを、イベント現場で何百人と関わってきた立場から書いていく。
涙には、真逆の二種類がある
同じ一粒でも、中身がまるで違うんだよね。
ひとつは、自分を削っていく涙。会うたびに否定されて、機嫌をうかがって、言いたいことを飲み込む。彼の前でだけ声のトーンが下がる子、うちでもわりと見かける。笑ってるのに目が笑ってない、あの独特の表情。見てるこっちがズキッとするやつ。これは、手放したほうがいい側。
もうひとつは、育つ途中で出る涙。価値観がぶつかった夜とか、好きすぎて胸が苦しくなる時期とか。痛いけど、関係そのものは前に進んでる。この涙は、慌てて捨てなくていい。
うちのイベントでも、この二つは、まとう空気がまるで違う。前者の子は、彼の話をするとき、なぜか言い訳から入るの。あの人も忙しいから、私が我慢すれば大丈夫だし、ってさ。後者の子は、腹を立てながらも、でも好きなんだよなあ、なんて照れ笑いしてたりする。同じ涙目でも、奥にある温度が違うんだ。
見分ける物差しは、意外とシンプルだったりする。その恋の中で、あなたが自分を好きでいられるかどうか。一緒にいるほど自分を嫌いになっていくなら、答えはもう出てるんだよね。
直せば愛される、と思い込んでいたAさんの話
うちの常連だったAさん。
付き合ってた相手が、会うたびに彼女の服とか話し方にダメ出しする人でさ。その髪型は子どもっぽい、その笑い方は下品、そんな調子。Aさんは、直せばもっと愛されるはずと信じて、必死に合わせてた。服も変えたし、笑い方まで練習してたっけ。健気すぎて、見ていて胸が痛かったなあ。
半年経ったころ、彼女が小さな声で言ったんだ。私、もともと自分がどんな人間だったか、思い出せなくなってきました、って。あ、これは涙の中身が違うやつだそう直感した。
相手に合わせるのが悪い、なんて話じゃない。でも、自分を消してまで合わせる関係って、恋というより、自分を差し出す取引に近いんだよね。差し出し続けて、手元に何も残らなくなったとき、人はやっと立ち止まる。あれ、私、何のために泣いてたんだっけ、って。
Aさんは結局、その恋から静かに離れた。後日、うちのイベントで再会したとき、あの髪型、自分の好きな感じに戻したんです、ってちょっと得意げでさ。自分の笑い方を、自分の手にそっと取り戻した顔をしてたなあ。
苦しいのに離れられないのは、弱さじゃない
つらいのに別れられない。その自分を、意志が弱いんだと責める人、驚くほど多い。でも、その自己批判はいったん脇に置いていい。
人は、一度つながった相手を失うことに、本能のレベルで抵抗するようにできてる。心理の分野では見捨てられ不安と呼ばれることがあるんだよね。幼いころ、身近な大人との間で愛情が安定して届かなかった経験があると、大人になってからの恋愛でこの不安が強く顔を出しやすい、と愛着の研究では語られてきた。つまり、根性の問題じゃなくて、心の配線の話なんだよね。連絡が来ないだけで心臓がドクッと跳ねて、スマホを裏返しては、また五分でひっくり返す。あの落ち着かなさ、覚えのある人はきっと多い。あれは意志が弱いんじゃなくて、不安が勝手にアラームを鳴らしてるだけ。
だから、離れられない自分をいくら責めても、事態は良くならない。むしろ逆効果だったりする。責めるほど、余計に相手へしがみつきたくなる。あのループにハマった経験、心当たりある人にはきっと刺さるはず。自分を責める気持ちと、相手にすがる気持ちって、じつは同じ。
本当の悩みは、彼のことじゃなかったりする
泣く恋愛の相談を聞いていると、話の主語が途中でこっそり入れ替わることが多い。最初は、彼が冷たい、彼が連絡をくれない、という話。それがいつのまにか、私なんて、どうせ私は、に変わっていく。モヤモヤの正体が、相手じゃなく自分の側にあった、というパターンね。
深いところにある問いを、あえて言葉にするとこうなる。このままの私で、愛される価値があるんだろうか。
自己肯定感が低いと、恋愛で不思議なことが起こるんだよ。好かれようと頑張るほど、なぜか嫌われる方向へ進んでしまう。皮肉というか、切ないというか。
尽くしすぎてしまう子は、見返りを受け取る前提を、自分に許せていないことが多い。だから相手がちょっと冷たいと、私の努力が足りないせいだ、とさらにアクセルを踏む。イベントで、彼のために毎週末の予定を空けて待ってる、という子がいた。連絡が来なければ、その土日はまるごと消える。(私の時間って、そんなに軽いものだっけ)聞いていて、そう言いたくなったよ。
試し行動、というのもある。わざと素っ気なくして、それでも追いかけてきてくれるか確かめるやつ。愛を確認したいのに、確かめるたびに関係がすり減っていく。じわっと、静かに削れる感じ。確認が増えるほど相手は疲れて、気づけば離れていくんだよね。
手に入りにくい相手ほど燃える、という追いかけ恋にハマる人も少なくない。ただ、その熱の正体をよく見ると、恋というより、認められたいという飢えだったりする。あの人に選ばれたら、私にも価値があると証明できる。そういう証明のために走ってると、恋はどんどんしんどくなるばかり。
面白いのは、こういう子ほど、いざ相手が本気で振り向くと、急にスッと冷めたりすること。追いかけてるあいだが一番安心してたんです、なんて打ち明け話も、何度か聞いた。埋めたかったのは彼じゃなくて、自分の中の空っぽな部分だった、というオチ。ここに気づけると、恋の見え方がひとつ深くなるんだよね。
満たされている人のほうが、いい恋をしている
不思議なもので、うちのイベントで安定した関係に進んでいく人って、恋愛にがっついてないの。
Bさんのことが忘れられない。初めて来たとき、正直、いわゆるモテ枠ではなかった。でも、自分の趣味とか、休日の過ごし方の話を、ほんとに楽しそうにするんだよ。相手に合わせにいくより先に、自分の世界がちゃんとある人。半年くらいして、同じサークルの人と付き合いはじめた。決め手を聞いたら、一緒にいて疲れないからです、って返ってきたっけ。
満たされた状態で人と一緒にいると、相手の一挙一動にいちいち揺れなくなる。既読がつかなくても、まあ忙しいんだろうな、で流せる。この余裕が、逆に相手を安心させるんだ。追わないのに、向こうから寄ってくる。ソワソワしない人の強さって、正直あなどれないよね。
じゃあ、自己肯定感ってどう育てるの、という話になる。近道は、恋愛の外に落ちてる。仕事でも趣味でも、これは自分でやり切ったと思える瞬間を、こつこつ増やしていく。恋で自分を丸ごと満たそうとするから、苦しくなるのさ。恋愛は、その土台の上にちょこんと乗るくらいがちょうどいい。
半年ぶりに料理を最後まで作りきったとか、朝ちゃんと起きられた週があったとか、そのレベルで十分なんだよ。自分との約束を守れた記憶が積もっていくと、他人の評価に振り回されにくくなる。うちのイベントでも、何かひとつ夢中になれるものを持ってる子は、恋の話をするときの目が、やっぱり生き生きしてるんだ。
変わりはじめのサインは、わりと地味。既読に一喜一憂する回数が、少しずつ減っていく。返信を待つ時間に、別のことができるようになる。派手な転機なんてないまま、あの子たちは確実にそこから変わっていったんだ。
一人でも平気、という足場ができると、無理にすがりつく必要がなくなる。すがらない人は、なぜか自然と愛される。ちょっとずるいくらいに、ね。
別れを決める前に、自分に戻る時間を
すぐ別れる、すぐ続ける。その二択に飛びつく前に、少しだけ自分に戻る時間をつくると、視界がガラッと変わる。
彼のことを考えない休日を、一日だけ作ってみる。友だちと会うでも、ずっと後回しにしてた場所へ行くでも、なんでもいい。彼といないときの自分が、どんな顔をしているか。そこに、答えのヒントが落ちてることが多いんだ。
うちのイベントに、彼のことで頭がいっぱいだった子が、久しぶりに一人で参加したことがあった。終わったあと、こう言ったの。今日、彼のこと一回も考えてなかったかも、って。ちょっと驚いた顔でさ。自分にもこんな時間があったんだ、っていう小さな発見。そこから、その子の恋は少しずつ形を変えていったんだよね。

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