「好きかどうか、正直わからなくなってきた。でも別れたくもない。あの手料理がなくなると思ったら…」
社会人イベントサークルをやってると、こういう相談をよく受ける。飲み会の帰り道、ぽつりと打ち明けてくれる男性が、毎年必ず数人いる。彼らに共通するのは、なんとも言えない罪悪感を抱えているということ。料理目当てで付き合ってるのかな、自分って最低なんじゃないか、という自己嫌悪がにじんでいる。
でも、そんなに単純な話じゃないんだよね。
理由① 料理が「安心感」の象徴になっている
仕事終わり、くたくたで帰ってきた部屋に、温かい匂いがする。それだけで、肩の力がふっと抜ける感覚ってあるじゃんね。
彼女の料理が好きというより、あの状況ごと好きになっている場合がある。食卓の灯り、湯気、「お帰り」の一言。そこに安心を感じているとき、人は料理と愛情を切り分けにくくなる。
心理学では、特定の刺激と感情が結びつく現象を「情動条件づけ」と呼ぶ。繰り返し温かい食事と安心感を一緒に体験していると、料理そのものが安堵感のトリガーになってしまう。別れを考えたとき、あの安心感ごと失う恐怖を感じているとしたら、それは料理ではなく、精神的な拠りどころを失う怖さだ。
理由② 食事と愛情は、脳の中で混線しやすい
イベントで知り合った28歳の男性、仮にKさんとしよう。彼女と付き合って2年、最近なんとなく気持ちが冷めてきたと感じていた。でも彼女が作るポトフを食べると、不思議と「やっぱりこの人でいいかも」という気持ちになるという。
(それって愛情なの?ポトフなの?)
実はこれ、かなり多くの人が経験している現象だったりする。食事には人の感情を安定させる力があり、オキシトシン、いわゆる愛着ホルモンの分泌を促すという研究もある。一緒に食卓を囲む行為自体が、脳を「この人が好き」という方向に誘導することがある。
Kさんの場合、正確に言うと「ポトフを食べるとき、彼女といる自分が好き」なのかもしれない。それ自体は悪いことじゃない。ただ、それが愛情の全てになっているなら、少し立ち止まる必要はある。
理由③ 「もったいない」という心理が判断を鈍らせる
行動経済学に「損失回避バイアス」という概念がある。人は何かを得る喜びよりも、失う痛みを強く感じるという特性だ。
これだけ料理が上手な人、他にいないかもという気持ちは、これそのものだったりする。今ある豊かさを手放す恐怖が、関係を続ける理由にすり替わっていく。
これ、正直に言うとかなり苦しい状態だよ。好きで続けているんじゃなくて、失うのが怖くて続けている。そのモヤモヤが、じわじわと罪悪感になっていく。
理由④ 母親の手料理の記憶が、無意識に重なっている
少し踏み込んだ話をすると、料理への強い執着には、幼少期の食卓の記憶が絡んでいることがある。
愛着理論の観点から見ると、子どもの頃に食事を通じて安心感を与えてくれた存在、つまり養育者との記憶は、大人になってからの親密な関係に影響を及ぼすことが知られている。料理上手な彼女に特別な居心地の良さを感じる男性の中には、無意識にそのイメージが重なっているケースもある。
母性的な安心感に惹かれているとしたら、それは彼女個人への愛情というより、原体験の焼き直しに近いかもしれない。気持ち悪い話に聞こえるかもしれないけど、これは珍しいことじゃない。むしろ、自分の中にそういう構造があると気づくだけで、関係の見え方が変わってくる。
理由⑤ 「孤食」への恐れが、別れを遠ざける
一人で食べる食事がしんどい、と感じる人は少なくないんだよね。
誰かと囲む食卓は、孤独を感じさせない装置として機能する。ここ数年、孤食と精神的健康の関連を示す研究が増えていて、一人で食べることが孤独感や抑うつ感と結びつくデータも出ている。
彼女と別れることは、愛情を失うだけでなく、その食卓を失うことでもある。温かい夕飯、週末のブランチ、誕生日に用意してくれたあのケーキ。そういう「一緒に食べる場面」が、日々の精神的な支えになっていたとしたら、別れの怖さの正体はそこにある。
理由⑥ 関係に飽きていることを、自覚できていない
これを書くのはちょっとためらいがあったけど、正直言って大事なポイント。
「愛情が冷めた」という感覚を自覚すること自体、心に相応のエネルギーがいる。特に、相手がいい人で料理も上手で、文句の付けようがない場合は、自分が感情を失っていることを認めるのがしんどくなる。
そのしんどさから目を逸らすように、料理のことを理由にしてしまうことがある。「まあ、料理がなくなるのは惜しいし、今すぐ別れなくてもいいか」という先延ばし。これがいちばん本人も気づきにくい、でもいちばん相手に失礼なパターンかもしれない。
理由⑦ 決断することへの回避が、習慣になっている
サークルの飲み会でそれとなく話を聞いていると、恋愛の決断が苦手な人は、仕事の決断も先送りにしがちな傾向があることに気づく。これは個人の性格というより、決断によって生まれる不確実性への耐性の問題だったりする。
心理学的には、決定回避と呼ばれる現象に近い。選択肢が多かったり、どちらも一定の価値を持っていると感じると、人は決断を先延ばしにしやすくなる。料理という具体的なメリットがあるぶん、「やっぱりもう少しこのままでいいか」という思考に引き戻されやすい。
でも、先延ばしにしているうちに、相手の時間を奪っているという事実は変わらないんだよな…。
愛情と依存を見極めるための3つの問い
ここまで読んで、自分に当てはまりそうなものがいくつかあった人も、焦らなくていい。これを読んでいる時点で、自分の感情を整理しようとしている。それ自体がすでに誠実な行動だから。
感情の輪郭をはっきりさせるには、具体的な問いを立てるのが一番早い。
まず一つ目。料理がない状況で、彼女と会いたいと思えるか。休日の昼、外でランチをして、そこから手ぶらで帰宅する日常が続いたとして、会いたいと感じるかどうか。
二つ目。彼女が料理できない期間、長く続く病気や怪我をしたとして、自分の気持ちはどう変わるか。支えたいと思えるか、それともなんとなく距離を置きたくなるか。
三つ目。今の気持ちを正直に彼女に話したとして、後ろめたさはどこから来るか。彼女を傷つけたくないからなのか、それとも手料理を失いたくないからなのか。
料理への感謝と、恋愛の本質は切り分けられる
誤解してほしくないのは、料理が上手な彼女のことを好きになること自体、全然おかしくないということ。手料理を通じて相手への愛情が育まれることは、ごく自然な話だ。
問題になるのは、料理以外に彼女を選ぶ理由を自分で言語化できなくなったとき。一緒にいる理由が「あの手料理があるから」だけに収束してしまっているとしたら、それは彼女に対しても、自分に対しても、少し不誠実かもしれない。
イベントで出会い、のちに結婚したカップルを何組も見てきた。長続きしているカップルに共通しているのは、料理や外見といった条件を超えたところで「なんか、この人がいいんだよね」という感覚を持っていることだ。うまく言語化できないけど確かに存在する引力、みたいなもの。
条件で人を選ぶことを否定するつもりはない。ただ、料理という条件が、その引力の代わりになっているとしたら、それはちゃんと気づいておいた方がいい。
自分の感情に正直でいること。それだけが、相手にも自分にも誠実な恋愛への入り口だと思うから。

コメント